けせらであること
2015-09-19


 たまにですが、こんな声をいただきます。
 「新しい子は迎えないんですか?」
 「早く次の子を見つけて下さいね」

 これは、考え方の違い、価値観の違いですので、それらの考え方を否定するつもりではありません。
 でも、私は、次の子、新しい犬を迎えるつもりは一切ありませんので、その思いを、少し書かせていただこうかと思います。

 もし…、もしも…。
 ありえないけれど、けせらにもう一度めぐりあえるのならば、もう一度、一緒に生きたい。
 でも、他の犬では違うんです。

 たとえば、漠然と誰かとつきあいたいと思ったから、そのために誰かを好きになる、ということはありません、…私は。
 誰かを好きになった先に、その人と一緒にいたいと思うのです。

 今の私は、犬との生活がしたいのではなく、けせらが愛おしいだけなのです。
 けせらであるということが、強い意味を持っているのです。

 けせらは、私にとって、最高の、たったひとりの子でした。
 さびしくて仕方ない時もあるけれど、でも、それでも、そのさびしさの中でも、けせらだけを想っていたいのです。

 けせら以外の犬を、家族として受け付けないのは、私だけではなく、きっと、猫である音夢も、同じだと思います。

 新しい子を迎え、それぞれを愛する方々も、素晴らしいと思います。
 決して、そういう方への批判ではありませんので、誤解なさらないでいただければと思います。

 ただ、必ずしも次の子を迎えるものだと決めつけてしまうのも、どうなのかなぁ?と、ちょっと思ってしまいました。
 考え方は、色々ですので。
 でも、そういうことを言われた方も、優しさから言って下さっていると思いますので、決して、その方々への批判でもないのです。
 お気を悪くされないでいただければ、と思います。

※画像は、かなり前のものですが。

禺画像]
[けせら▼・。・▼]

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